都元ダイスケを偲んだらコミュニティイベントが爆誕した

友人であり同僚でもあった都元ダイスケが、今年2月急逝した。

【訃報】シニアシステムアーキテクト 都元ダイスケの逝去に関するお知らせ|お知らせ|クラスメソッド

新型コロナウイルスの流行が始まり、みんなが在宅勤務にシフトしていくタイミングだったので、どうにも彼がもういないという実感が持てずにいた。また、友人や同僚で集まる機会もなかなか作れず、彼について誰かと話すということもないまま半年以上経過してしまった。

ずっとやりたかった「お別れの会」を、先日やっと開催することができたので、その周囲のできごとについて書いておく。

タイムライン

  • 1/26 : 会社から「在宅勤務を推奨」のアナウンス

ぼくたちの部署はリモート主体と出社主体が半々ぐらいで、その中でもダイちゃんとぼくは基本週5出社する重度の出社厨だった。しかしさすがに目に見えなくて伝染性・致死性がある敵となると、避けられるリスクは避けるしかない。

部署では週3回全員で朝会が開催され、司会をダイちゃんが担当していた。この週の朝会から、ダイちゃんは画面の向こうからあのビッグスマイルで司会をするようになった。

  • 2/13 : 会社Slackで「ダイちゃん入院」の第一報

ぼくは登壇を控えたデブサミの控室でそれを知った。えっ、昨日の朝会も元気に司会しとったやん…とびっくりしたけど、そのときは「ICUにいるけど命に別状はなし、3週間ほどで退院の見込み」とのことだったので、ちょっとホッとしつつ、ちょっとひっかかりつつ、そのまま登壇したのだった。

  • 2/17 : 会社Slackで急逝が伝えられる

毎週月曜9時半からの全社朝礼が、この日は15時からに変更、とアナウンスされる。その直前での一報。

デブサミの登壇で完全燃焼して、かっすかすの状態で週末を過ごし、よれよれと迎えた週明けにこの不意打ちである。呆然とするしかないよね。

  • コロナ禍の日々

呆然としつつも仕事は進めないとだし、慣れない在宅勤務にも対応しないとだし、ヨメさんも在宅勤務を始めるし、小学校も休校になるし、飲みにも行けないし。

そんな日々を過ごしていたので、感情を整理するなんてあとまわし。なんとか仕事や家庭を崩壊させないようにするのが精一杯だった。自分のキャパが意外と小さいことを思い知らされて、なんとなくがっかりする日々でもあった。

都元ダイスケのお別れの会

というわけで、時は過ぎてはや11月。やっと「都元ダイスケのお別れの会」を開催することができた。ぼくは「接客係」ということで終日会場をうろうろして、やってくるゲストと話をしていた。

ダイちゃんの人柄と顔の広さからある程度は予想してたんだけど、予想をおおきく上回る「コミュニティイベント」だった、というのが感想。

JAWS-UGとDevLOVEとjava-jaが同時にイベントを開催した会場の廊下で、クラスメソッドの同窓会が発生した、と言えばなんとなく雰囲気は伝わるだろうか。

ゲストはみんな、ダイちゃんとの思い出を楽しそうに話していった。そしてひさしぶりに会うエンジニア仲間を見つけると、いつのまにか技術やプロダクトの話に花を咲かせていた。

一番遅くに駆けつけてくれた@t_wadaさんを囲んで@smokeymonkeyさんと3人で話し込んだ結果、やっぱり今日はコミュニティイベントだったんだな、という実感を持つことができた。

来てくださったみなさま、ありがとうございました。そして、こんなにたくさん呼んでくれてありがとう、ダイちゃん。

業務連絡

ダイちゃんがいなくなってからもずっと、金曜になるたびテンションAGEAGEになっていたIFTTTによる自動投稿を、ご家族のご依頼によりぼくが停止しました。

狙ったわけじゃないけど、お別れの会当日がラストになってしまった。「切なくてミュートした」とか「ダイちゃんらしくていいね」とかいろんな声があったけど、そういうことなのでご心配なく。

お墓参りが可能になったらまた何らかの手段でお知らせするので、当日来られなかった方、ツイートが止まってさびしい方は、行ってあげてください。

バイバイ。

気持ちに整理なんかつくわけないけど、底抜けに明るくてどこまでも優しかったダイちゃんのことを思い出すと、あんまり呆然としてるのもみっともねえな、という気持ちになってきた。

だから、バイバイ、ダイちゃん。またそのうちな。