Ymsr送別会 #Ymsr

このエントリは #ymsr というハッシュタグについて書かれている。なんのことかわからない人はタブをそっ閉じしてね。

メッセで済まない用件はだいたいロクでもない

山城という男が死んだ。去年の12月のことだ。交通事故だったらしい。

仕事してたら、 @regtan からFBで「電話していい?」ってメッセージが入った。メッセで済まない用件はだいたいロクでもないものだってことはよく知ってる。対衝撃姿勢で覚悟を決めて「さあこい」と電話に出たら、この話。

人間心底びっくりすると「・・・まじで?」としか言えないもんだな、と改めて思い知らされた。

またよりにもよって、その日はjava-ja.忘年会2013の当日。 @meso が急遽幹事を引き継いだので、俺も勝手に手伝うことにして受付係をやっていた。近くのコンビニにで買ったノートにtwitter IDを書かせて会費を徴収するだけ。こういうときは雑用でも何でもバタバタ忙しくしていた方がいい、というのは経験上知ってるから。参加者には「java-jaの飲み会で受付があるなんて!」と驚かれたけど。

「あいつ、自分の送別会を自分でブッキングしていきやがったよ」

「懇親会のドタキャンをずっとdisってたのに、自分は体張ってドタキャンかよ」

java-ja定番「北海道」で、java-ja名物ラーメンサラダを食いながら、俺たちはその事実を受け止めきれず、なんとかネタにしようと試みていた。

山城先生と俺の思い出を振り返ってみた

追悼blogなので、山城先生と俺の思い出を振り返ってみたのだが…またこれが、さっぱりない。同僚だったけど仕事で絡んだことはまったくないし、プライベートで遊びにいった記憶もない。つながりと言えば、だいたい会社関連の飲み会か勉強会の懇親会。話題はだいたい仕事のヨタか、エンジニアリング・ポエムだった。

記憶に残ってるのは2009年のjava-ja忘年会。「そうべつカイロ」の元ネタ画像が撮影された飲み会だ。俺はすごく気後れしながら仕事に押されて遅れて参加したんだけど、着いてみたら赤毛の主催者はすみっこでぼっちでiPhoneのust機能を試してるし、巨体の幹事は札束広げて女の子抱えて写真撮ってる。とんでもないところに紛れ込んでしまったものだ、と戦慄した記憶がある。

彼は2012年の「エンジニア退職ビッグウェーブ」に乗っかって辞めてったんだけど、その時一度「俺のチームに来ない?」と声かけてみたことがあった。もう転職先が決まったあとだったので「ありゃ残念」で終わっちゃったんだけど、今思い返してみると、実現したら面白かったのになあ、と残念でならない。まあ俺も翌年退職しちゃったんだけどね。

去年の9月、珍しく4人という少人数で飲むことがあった。六本木のロアビルにはビアガーデンがあって、ヒルズを見上げながら飲むことができる。しかも店員のおねーちゃんがビキニという素晴らしい場所だよ、と話したら即決だったんだけど、行ってみたらおねーちゃんたちみんな水着の上にTシャツ着ていた。さすがに9月だもんあり得る話だよね…とがっかりしつつ、飲み放題プランにしてぐいぐい生ビールを空けながら、主にポエムな話をしていた。会計はワリカンだったよ。まあ練金したんだけど。

自分の回りで死なれるのはスゲー迷惑

俺個人の事情なんだけど、去年は5月に義弟、7月に父を亡くしている。そして12月に山城。さすが本厄(今年になって気がついた)、本気出し過ぎだろう。

人間、事故に巻き込まれると、死ぬ。よく覚えておくように。ポルナレフも言ってるじゃないか、「自分の回りで死なれるのはスゲー迷惑だぜッ!このオレはッ!」と(このセリフ、アブドゥルに対してなのがまた微妙)。俺も迷惑なので、これ読んでる人は死なないように。

じゃあな

で、その山城という男の送別会が、昨日開かれていた。イベントの様子は#ymsrをたどると出てくる…のだが、あとから振り返ってもあんまり意味ないな。三行でまとめると…

  • 花火が打ち上がった。
  • Apple製品を粗末にした。
  • みんな涙が出るほど笑い、ちょっぴり涙を流した。

#ymsr 花火 – Spherical Image – RICOH THETA

100人近い人間が、山城のことをネタにさんざん盛り上がっていた。それだけで山城という男が愛された幸せ者だったことがわかる。盛り上がったネタの具体的な内容はともかくとして。

俺もビールのち赤ワインをしこたま飲みながら、大笑いしてきた。彼ほどのコンテンツ力はないけれど、ああいう送り出し方をされる人間になりたいものだ。いやまじで。

じゃあな、山城。