N高等学校を卒業しました
去る3月20日、N高等学校の3回目の卒業式が行われました。「3回目」ということはつまり、開校初年度に1年生として入学した生徒たちが卒業していくので、新設校としてはやっと一周した、ということになります。
ぼくとN高等学校の関係については、昨年「高校中退プログラマが自分で作った高校を卒業するまで」というエントリにまとめました。要約すると、ドワンゴのエンジニアであるぼくに「教育事業をはじめるのだ」というミッションが与えられ、開発チームをマネジメントしつつドッグフーディングとして入学し、無事に卒業までこぎつけた、というお話です。
エモい話はだいたい先ほどのエントリで書いてしまったので、今回はただの思い出話です。
2015 : 開校前
ぼくは2014年に出戻りとしてドワンゴに入社したのですが、当時のプロジェクトはプロトタイプを作っては壊したり、引き取ったにゃんこを裏側でお世話したりなど、プロダクト作りとしては成果が出ない状態が続いていました。
そんなときにやってきたのが「教育事業をはじめるのだ」というミッション。「ドワンゴ」という会社と「教育」というキーワードのミスマッチに最初は戸惑ったものですが、設立の理念を聞くにつれ、だんだん「やってやるぜ」という気持ちが高まっていきました。
というのも、ぼく自身が高校中退ですし、家族・親戚にも不登校の経験者がいます。旧来の通信制高校の大変さ(紙のテキストを読み、紙にレポートを手書きし、物理郵便で送る、の繰り返し)も知っていたらからです。
やがて実際の開発が始まったのですが、それはもうなにもかもが新鮮で、そして大変なプロジェクトでした。缶詰要件定義、京都大阪日帰りツアー、「他に誰もいらないから彼だけはチームにくれ」など、(いまとなっては)面白エピソードには事欠きません。パブリックに書くにはちょっとはばかられることも多いので、詳しくお聞きになりたい方は飲みにでも誘ってくださいませ。
その年の夏休み、家族旅行に組み込んで、沖縄県うるま市伊計島にある「伊計本校」に行ったのもいい思い出です。まだN高の校舎として手を入れる前の状態でしたが、美しい伊計島の風景に囲まれ、熱っぽくビジョンを語る奥平校長に案内してもらったことで、このプロジェクトに参加していることに対する誇りと責任感がグッと強くなりました。
そのあとの期間は、併設される「N予備校」の開発も重なり、嵐のように過ぎて行きました。出願機能ができあがり第1号として出願したこと(その結果学籍番号1番をもらうことができました)、沖縄県から設立認可がおりたこと(けっこうギリギリだった)などは印象深く覚えています。
2016 : 1年生
なんとか開校までこぎつけ、無事に最初の入学式が開催されました。出席者がGear VRを装着した、史上初のVR入学式として各所で話題になりました。ぼくも制服を購入して参加したのですが、うっかり最前列に座ることになり、Webだけでなくテレビのニュースでも流れたりしました。長男の保育園のお友達がそれを見て長男に話しかけたり、なんてこともあったようです。
その年の超会議は「N高の文化祭」でもありました。ぼくはフードコートでポップコーンを売っていたのですが、これがまた売れないこと売れないこと。両隣のブースが大行列なのにポップコーンだけ閑古鳥が鳴いてたのも、今となってはいい思い出です。
毎年5日間参加する必要がある「スクーリング」は、9月に沖縄の伊計本校で開催されるプレミアムスクーリングに参加する予定でした。しかし直前に入院してしまう、というアクシデントがあり、キャンセルせざるを得ませんでした。その後本業が忙しくなり、結局3月最後の東京スクーリングで代々木校舎に1週間通い、無事2年生に進級することができました。
2017 : 2年生
この年はメインの仕事が忙しかったので、高校生としては最低限のコミットメントでした。Webで動画授業を受け、レポートを提出し、スクーリングに行く。会社員としてフルタイムで仕事をしながらでも高校生のカリキュラムをこなすことができる、ということを身をもって示せたのではないでしょうか。
2018 : 3年生
ぼく個人としては、引き続き淡々と高校生をやっていました。一方でN高そのものがグッと進化した年でもあったのです。
システム面では、動画授業のシステムがN予備校と同等のものになりました。生徒としてはピンとこない改修だったかもしれませんが、N高・N予備校の両方を見ていた立場からすると、ひっくり返るほどのドラスティックな変更なのです。よりよい学びを提供するために開発チームが頑張るのを、陰ながら応援していました。
なんとか卒業にこぎつけることができて、卒業式にも参加してきました。N高らしい独創的な式でとてもよかったのですが、なかでも感慨深かったのが、最初の入学式で宣誓した塩屋さんという生徒が、卒業生代表として答辞を述べたことです。入学式では不安と緊張で震えていた彼女が、3年間の成果と成長を堂々と主張する。それはぜんぜんぼくの手柄でもなんでもないのですが、まるでおとうさんのような誇らしい気持ちで見守ってしまいました。
卒業してから
設立から丸3年、在校生や卒業生の成果には目を見張るものがあります。「普通の高校生」として従来通りの全日制高校に通っていたらきっと埋もれてしまったような個性が、N高で花開いたのは間違いないからです。
それだけではなくて、「普通の高校生」として居場所がなかった若い(そして若くない)人たちに、居場所やなにものかになるきっかけを提供できたことがN高の本当の成果だと思っています。
ニュースにもありましたが、最高齢の生徒は88歳のおばあちゃんでした。スクーリング最終日、ぼくはたまたま同じクラスで授業を受けていました。歩行器を押して教室に現れ、最前列で一生懸命授業を聞く姿に、ちょっと感動したのを今でも覚えています。そして、英語の授業でちょっとついていけなかった彼女に、たまたま隣の席に座った(どうみても現役高校生の年齢ではなくて、たぶん夜の商売をしている)生徒が、教科書を一緒に見ながらサポートしてあげていた姿にも同じように感動しました。
ソフトウェアエンジニアとして、ドワンゴはもとより様々な会社で、N高等学校で学びながら開発者としての腕を磨き、就業している卒業生たちもたくさんいます。彼らが開発したソフトウェアが社会をちょっとでもよくしてくれたとしたら、ぼくが今取り組んでいる仕事の成果としてこんなに嬉しく誇らしいことはありません。
いろんな年齢や境遇で、いろんな事情を抱えた「高校生」たちに、いろんな形で機会を提供する。そんなN高等学校というプロジェクトに、生徒として・開発者として参加できたのはとても幸運なことでした。
これからは卒業生として、N高の生徒や卒業生を応援していけたらいいな、と思っています。まだしばらくは会社員としてソフトウェアやその開発者と関わる仕事をしていくつもりなので、その道中でN高出身のみなさんと出会えたら、そして力になることができたら、望外の喜びです。
N高の立ち上げに関わることができて、そしてN高の卒業生になることができて、とても大変でしたが、やりがいに満ちて幸せな3年間(+開発期間)でした。
ありがとうございました。