100均の文化包丁的エンジニアがこの先生きのこるには

Mon, Feb 16, 2009 1-minute read

私はエンジニアとしての自分を「100均の文化包丁」と位置づけている。容易に想像つくと思うが、安くてなんでも少しずつは切れるからだ。

以下またしても自分語りコーナーなので、御用とお急ぎでない方はお付き合いいただければ幸いである。御用とお急ぎの方のために簡単にまとめると…

  • 自分のスキルに専門性がないのが悩みでありコンプレックス
  • 斬鉄剣でもこんにゃくは切れない
  • どんなスキルであれ人の役に立つのはいいことだ

ゲーム屋→SI屋もどき→コンテンツ屋と職を移り、その過程でかなりいろんな仕事を経験した。職務経歴書の自己PRにも「雑多な業務をこなしたことによる幅広い経験が強み」とか書いている。もういい加減アラフォーなのにダメじゃんそれじゃ、とも思うが、「なんでもそこそこ何とかする」ぐらいしか見当たらないのだ、コアコンピタンスが。

ざっと挙げてみてもコンシューマゲーム、PCゲーム、ケータイアプリ、web各種、組み込みの研修、Windows少々(Win32 / .NET)、Linux / Solarisの小さなモジュール、などの仕事に関わった。どれもこれも「究める」には程遠いが、どれもこれもそれなりになんとか形にしてきた(、はずだ)。

そろそろ100均の文化包丁との類似点がご理解いただけただろうか。だいたいなんでも少しは切れるので当座の役に立たないこともないが、ちゃんと魚を下ろしたり人を斬ったりすると、とたんに刃こぼれしちゃうのだ。

鉈や出刃包丁、日本刀などの専門性が強い刃物にずっと憧れながら、今日も私は何かをちょっと切る。「斬鉄剣でもこんにゃくは切れない」という事実を、ささやかなココロの支えにして。

昨年の春先からずっとマネージャのような仕事をさせられて、ただでさえなまくらな切れ味がどんどん衰えていくのを歯がゆく思っていた。でも、ここ数日でちょっとしたスパゲティを切り開き、誰かに喜んでもらうことができた。専門性のなさは不安だしコンプレックスだが、専門性のなさゆえになんとなく役に立つ喜びは忘れないようにしたい。