株式会社ドワンゴを退職します(6年7か月ぶり2回目)

いわゆる退職エントリです。表題の通り、2019年8月末で株式会社ドワンゴを退職します。

在籍期間

ということなので、今回の在籍期間は4年11か月と2週間(入社日が9/16だったので微妙に5年に届かず)、のべ在籍期間は7年8か月 – 2週間、ということになりました。

やった仕事

N高等学校 / N予備校の立ち上げ

2016年開校のN高等学校N予備校の開発に2015年から参加し、開発チームの立ち上げを行いました。また、N高等学校には自分でも入学し、学籍番号1番をいただき、初年度に1年生として入学した最初の卒業生となりました。

その辺のいきさつや感想は何度か記事にしました。4年目に入り注目度も実績も急上昇のN高/N予備校。その立ち上げを手伝えたことは、ドワンゴに出戻ってきてよかった、と思える充実した仕事でした。

技術コミュニケーション室

ドワンゴには「エンジニアの生産性をあげる」をミッションに掲げた、「技術コミュニケーション室」という組織がありました。2014年の出戻り時点からすでにアサインされていたのですが、N高等学校/N予備校が無事に開校したあたりからこんどはこっちの仕事の比重が大きくなり、2016年11月からは室長としてフルコミットしていました。

仕事の内容としては、ざっくり以下のような感じです。

  • エンジニア採用
  • 技術広報
  • 社内ツール選定・導入・運用
  • 新卒研修

詳細は以前、以下のエントリにまとめました。

このほかにも2017年に立ち上げたマストドンインスタンス「friends.nico」(2019年4月サービス終了)の開発チームも技コミの所属でした。

その他

ニコナレ

2015年10月にリリースした「ニコナレ」(2019年8月サービス終了)の立ち上げを後押ししたりしていました。もともとエンジニアが趣味プロダクトとして社内限定で公開していたものを「いいじゃん!」とプッシュして、niconicoのファミリーサービスになるまで焚きつけたのでした。

LDR

「livedoor Reader」というRSSリーダーがサービス終了を発表したところ、社内の一部勢力が「引き取ります」などと言いだし、「Live Dwango Reader」として再リリースしました(2017年サービス終了)。このサービスの引き取りを少し手伝ったり、クローズの後始末をしたり、なんて仕事もしていました。

エンジニアLT

ドワンゴ名物である、月曜17時の「エンジニアLT」の運営も行なっていました。発表者のアサイン、ベストスピーカーの選出、LT専用生放送システムの構築、採用コンテンツへの転用などなど。「こんなん発表させられるくらいなら辞めるわ」などという否定的な意見にはへこんだりもしましたが、エンジニアLTという機会で発表すること・発表するために準備することは腕を磨くために有意義だったと思いますし、普段交流の薄いエンジニアの発表を聴いたり質問したりすることはコミュニケーションパスとしていいものだったと思っています。

などなど

これ以外にも書くほどでもない仕事 / 書くべきでない仕事はたくさん引き受けてきました。数値化 / 可視化できる成果がどれだけあったかと言われるとウッとなりますが、全体最適のためには必要だったと信じています。

辞める理由

あげればキリがありませんし、ネガティブな理由もなかったといえばウソになります。ですが、以下の大きな2つが退職の理由の大半で、これらはいずれも個人的な理由や事情の方がウエイト高めです。

引責辞任という側面

「技術コミュニケーション室」という組織は、2019年6月いっぱいで解体しました。2019年2月の経営陣交代以来、会社全体として「立て直し」が当面の課題となり、サービスやプロジェクトの整理が進みました。

技術コミュニケーション室所属のプロダクトも整理の対象になったりしましたが、組織そのものについては特に経営側からのオーダーがあったわけではありません。しかし、そんな状況で「エンジニアの生産性をあげる」という数値化しにくいミッションをもったコストセンターが活動することは、会社のためによくないだろうと判断し、部署ごとの解体を決断しました。

所属していたメンバーや担当していた業務の引き継ぎ先には、大きな迷惑をかけることになりました。メンバーから退職者も何人か出ました。そんな状況で「元・室長」が社内にとどまるのはケジメとしていかがなものか。そんな気持ちが、退職を決めた理由の一つです。

キャリアパスという側面

一方で、これから自分がどんな仕事をしてキャリアを積んでいくか、というのは死活問題です。技コミで担当していた業務のうちいくつかは、ここしばらくのソフトウェア開発業界でけっこう需要があり、かつレアな範疇だったようです。需要があるなら、それを活かせる環境で新しいチャレンジをしてみよう、という気持ちもありました。

また、経営陣からは「3年で立て直す」という方針が発表されたのですが、3年頑張るとぼくは50歳になってしまいます。大台に乗る前に次のチャレンジをしよう、という事情もありました。

ドワンゴについて

とはいえドワンゴは、エンジニアとしてやっていくにはいい環境であることは間違いありません。技術で解決する社風、真の裁量労働制による自由、充実した就業環境。これらは「働き方改革」とやらが進む世間においても相当先進的であり、なかなか得難いものです。

「会社を立て直す」というミッションのために少し方針が変わることはありますが、エンジニアとして腕を揮い、腕を磨き、そして事業にコミットしていく、というエキサイティングなフェーズになったとも言えます。立て直しのキモであるniconico系のサービスもそうですし、新規事業の柱として成長しつつある教育事業もチャレンジしがいのある領域です。

この先どうするの?

次は9/2から、同じくソフトウェア開発業界で仕事をします。プロダクトの性質も技術スタックも変わるのでなかなかのチャレンジですが、成果を出して社会をよくしていけるよう、おっさんとして / 父親としてうまくやっていけるよう、頑張りたいと思います。

社外でのコミュニティ活動も変わらず続けていくつもりですので、今後ともどうぞよろしお願いします。

FAQ

  • Q : おまえ誰よ?
    • A : かっぱおじさんですこんにちは!
  • Q : 次どこいくの?
    • A : 入社エントリをお楽しみに!